東京生まれ。音楽家一家の中で育ち4歳からピアノを始め、青山学院高等部からバレエのレッスンの伴奏、作曲、編曲などを手がける。高校3年の時から自己のピアノ・トリオを結成して、ライブ・ハウスに出演するようになる。

 70年代には、ジャズ・ボーカルの大御所、マーサ三宅に才を認められて、彼女のライブ出演の伴奏をつとめるようになり、スタンダード・ジャズの歌曲についての造詣を深める。同時にジャズ・ピアノの勉強にも本格的に取り組み、ビル・エバンスやキース・ジャレット始め、多くの有名ピアニストの奏法を研究しながら、自己のスタイルを作りあげた。
 特にスタンダードなジャズ・ナンバーへの深い知識に裏打ちされた女性らしい繊細な演奏は、ときに男性にも負けぬ鋭いリズミックなタッチを生み、独自の美の世界を形作るようになった。

 また、作曲についての関心も高く、数多くのオリジナル作品を書いている。78年にキングレコードからLPアルバム「EMILY」をリリースしたのを始め、79年にはビクターから「LIVE AT THE CARNIVAL」のアルバムを、続いて東芝から「MY WAY」、「MR. LONELY」の2枚を発表した。その後CBSソニーの専属となり、「EMERALD CITY」「CRYSTAL ECHO」を発表した。
 89年にはニューヨークで、有名なギル・エバンスのオーケストラのメンバーを集めてオリジナル作品集「SOME OTHER WORLD」を録音した。このときのギル・ゴールドスタインのアレンジによるジャズ・オーケストラのモダンなサウンドと、甲斐恵美子のきらびやかなピアノは、現代的な感覚のピアノ交響詩ともいうべきアルバムとなって完成した。これは「高い音楽性と創造的なジャズ感覚を持つピアニストにして初めて作りえるレベルの高い作品」と絶賛を浴びた。

 1987年には国際交流の一環として、自己のカルテットでインド4都市、計13公演のコンサートツァーを行い、各地の聴衆や新聞の批評で絶賛をあびている。
 90年にはテニスのメッカ、イギリスの郊外ウィンブルドンを訪れ組曲に仕上げる。この中の数曲が90年から92年にかけて、NHKの衛星放送の「ウィンブルドン・テニス」の合間に流されて評判になった。

 ジャズの奥深さを求める旅はこのころから本格的に始まった。91年から92年にかけて2度にわたり北欧を旅して書きためた曲を中心に、94年10月に「KAI,EMIKOジャズオデッセイ」としてコンサートを開催、好評を博す。
 95年3月には「KAI,EMIKOジャズオデッセイ」としてNHK・FMに出演する。
 このころから都市の自然や生き物に関心を寄せ、地球環境を考えた作曲をするようになってきた。音楽探しの旅は95年にシチリア島、96年にはトルコに足を延ばし、構想を膨らませてきた。
 97年にはウーマン・ジャズフェスティバルに於いて、イングリッド・ジャンセン(Tp)率いるアメリカの女性ミュージシャンと共演。
 99年にはロサンゼルスのライブセッションに参加。翌年はお返しに日本においてL.A.のミュージシャンと「Encounter Of The Jazz Kind」(ジャズ仲間たちとの遭遇)のライブを行う。

 その後、地球環境のために何ができるかを考えるために、アラスカ、シンガポール、マレーシアなど自然豊かな国々を旅し、新鮮な作曲の構想を固めた。そしてその結果を2000年6月、草月ホールで本格的「地球環境音楽としてのジャズ」を目指したコンサート『KAI,EMIKOジャズオデッセイ・コスモ』を行い、新しい感覚のジャズ公演として、感動をよび、大好評となった。また、この日を記念し、初のミュージック・エッセイ『光の五線譜』を発刊。

 さらに音楽の旅は続き、2000年10月にポルトガル、2001年3月にはバンコクを訪れ、その結果を2001年11月にル・テアトル銀座にて、『KAI,EMIKOジャズオデッセイ・ガイア』を開催した。この公演には、サウンドクリエーター川崎博氏による地球の音を取り入れたサラウンド方式を採用、画期的な試みとなった。円熟味溢れる表現と地球のかなでる音とのコラボレーションは、環境音楽家の第一人者としての地位を不動のものとした。

 また自然への思いは、宇宙や星空へと深まっていった。天文学者や天文台への取材活動を通じ、音楽の幅や深さも大きく広がった。
 2001年1月に起こった、21世紀最初の皆既月食には、インターネット中継のためのテーマ曲「エオスの涙」を提供、また 01年6月にはアフリカの皆既日食のテーマ曲「Mirabilia」を作曲、本人自らアフリカ・ジンバブエからライブ中継を行った。さらに同11月のしし座流星群の中継でもテーマ曲「Jupitar In The Rain」を作曲、ネットに乗せて世界中へ中継された。
 この一連の宇宙音楽の活動から、03年5月に打ち上げられた日本の小惑星探査衛星Muses-C(衛星名はやぶさ)のテーマ曲つくりを相談されたのを機会に、自主活動として取り組み、「Lullaby of Muses」というアルバムを作成、完成度の高い組曲としてできあがった。この活動は、さわやかな話題としてNHK朝のニュースとして報じられた。

 「ジャズは奏者が経験を重ねた分だけ、厚みと深さを増し、人々を感動させる」という信念からベトナムの激戦地跡の村を訪ねるなど、積極的な活動を今も続けている。


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